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主题:关于32年2月5日空战的一点史料与评论-萨苏兄请看 -- wage

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家园 【翻译】一个关于“支那”解释的资料

是回北宸MM的,放到这里。

这是google到的日本共产党的网页上的一个问答,蓝字是我的试译。我们可以看出支那一词并不是一开始就是带侮辱意思的。而鲁迅所在年代,还未正式宣战,他文中这个称呼应该是在混用时期。有时间的同学可以对同时代其他人的作品做做比较看看。

外链出处

〈問い〉 東京都知事になった石原慎太郎氏が中国を「シナ」と呼んだことについて、「差別的だ」という批判がでました。このことばは、なぜ差別的なのでしょう。(和歌山・一読者)

和歌山县的一个读者问:东京都知事石原慎太郎称中国为シナ,被批评为歧视。为什么这个词带歧视意思呢?

解释:这个读者在这里问的シナ是支那的发音的片假名,现代日本人喜欢用片假名,一是英文等外来语都用片假名,二则如拼音一般简单,汉字比较难,一般书籍中才会比较多的被用。

 〈答え〉 「シナ(支那)」ということばは、中国古代の王朝の一つ「秦(シン)」が語源といわれ、英語の「チャイナ」も同じ出所だとされています。日本にも、仏典を通じてこの名称が伝えられ、江戸時代にしだいに普及し、明治時代にも引き継がれました。

回答:シナ(支那)这个词,据说语源来自中国古代的一个王朝-秦(シン),和英文的チャイナ(即China)出处相同。在日本,这个名称经佛经传来,在江户时代(相当于中国的清代)渐渐普及,明治时期也沿用下来。

 このように、「シナ」は、外国人が中国を呼ぶ用語として、それなりの歴史的根拠をもっています。しかし、問題は、それが、戦前・戦中、日本の中国侵略と結びついて、中国にたいする侮蔑(ぶべつ)語として使用されたことであり、中国国民はこの呼称を拒否しています。当時、日本政府は、「中華民国(中国)」というその時期の正式国号を無視し、ことさら「シナ」、「シナ人」などと呼んで、中国と中国人をさげすむ態度をとりました。これは、中国侵略戦争のさい唱えられた「膺懲(ようちょう)支那」(「支那を懲罰せよ」)などというスローガンに端的に示されています。

这样,支那作为外国人称呼中国的用语,是有一定的历史依据的。但是问题是在战前,战中,与日本对中国的侵略相连,作为对中国的蔑称被使用过,中国国民拒绝这个称呼。当时日本政府无视那个时期的正式国号中华民国,而特别称其支那,支那人,这直接表现在侵略中国的战争时,用的口号“惩罚支那”中。

 戦後は、侵略戦争への反省を重要な柱とする憲法が施行され、中国(一九四九年十月以降、正式名称=「中華人民共和国」)との関係でも、日本は「戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」(七二年の日中共同声明)ことを確認しています。

战后,作为反省侵略战争的重要一环的宪法被实行,和中国(1949年10月以后,正式名称—中华人民共和国)的关系也通过“痛感到由战争带给中国国民重大的损失的责任,深刻反省”(72年的中日共同声明)作了确认。

 こうした歴史の真実を直視すれば、中国を「シナ」と呼ぶことは、単に時代錯誤というだけでなく、過去の侵略戦争への無反省がその根底にあることは明らかでしょう。

直视这样的历史真实,称中国支那,不仅仅是时代错误,而且明显有对过去侵略战争无反省的根基。

中国の当局やマスコミは今いっせいに石原氏の一連の発言を批判しています。三月十二日の新華社(中国の国営通信社)電は、「戦時中日本が中国を侮辱するために使った『支那』」を口にしている石原氏は「大日本帝国の思想を持った」人物である、と指摘しました。(平)

〔1999・4・29(木)〕 

中国当局,大众媒体现在一起在批判石原的一系列发言。3月12日新华社(中国国营通讯社)消息指责说,“口中说着战时日本侮辱中国用的支那的石原是持大日本帝国思想的人物”。 (平) 1999年4月29日(周四)

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